学校の先生の中で、いちばん給料が高いのは何の先生だと思いますか。国語でも数学でもなく「音楽の先生」だった――そんな記録が、約2200年前の古代ギリシアの町に石に刻まれて残っています。トルコ西部の遺跡テオスで続く発掘と修復の成果として、2026年10月、この記録があらためて紹介されました。
ニュース本体:音楽教師は年700ドラクマ
テオスは、トルコ西部のイズミル県セフェリヒサルの近くにある古代都市です。古代ギリシアのイオニア地方にあった12の都市の連合「イオニア同盟」の一員で、エーゲ海に面した港町として栄えました。現在はアンカラ大学のムサ・カドゥオール教授が率いるチームが発掘を続けています。
イズミル首都圏自治体が2026年10月27日に出した発表や、考古学ニュースサイトの報道によると、注目されたのは、紀元前2世紀ごろのものとされる碑文です。そこには、ポリュトロスという裕福な市民が3万4,000ドラクマ(ドラクマは古代ギリシアの銀貨の単位)を寄付して教育のための基金をつくり、自由な身分の子どもたちを学ばせたことが記されています。
碑文には、先生たちの1年間の給料も書かれていました。アンカラ大学のテオス発掘プロジェクトの解説によると、読み書きと文学を教える3人の先生は年500〜600ドラクマ、体育の先生2人はそれぞれ500ドラクマでした。そして最も高い700ドラクマを受け取っていたのが、竪琴などの弦楽器を教える音楽の先生だったのです。カドゥオール教授も自治体の発表の中で「先生の給料は分かっている。いちばん高かったのは弦楽器を教える音楽の先生だ」と語っています。
学校の運営にも、細かいルールがありました。報道によると、先生どうしのもめごとには40歳以上の監督役が入ることになっていました。また、アンカラ大学の解説は、男の子だけでなく女の子も、3人の先生から読み書きと文学を学んでいたと説明しています。報道では、弓矢ややり投げ、武器を使った戦い方の授業もあったとされますが、女の子がすべての授業に同じように参加していたかどうかまでは分かっていません。
独自リサーチ:「試験会場」だった評議会場がよみがえる
今回の発表で、もう1つの主役となったのが「ブレウテリオン(評議会場)」です。町の代表者たちが集まって話し合う建物で、アンカラ大学の解説によると、広場(アゴラ)の北西のはしに建てられ、約800人が座れる17段の客席があります。碑文などから、紀元前3世紀の終わりにはすでにこの建物があったことが分かっています。
カドゥオール教授によると、子どもたちの音楽や基礎的な学力の試験は、このブレウテリオンの中で行われていました。体育や軍事訓練の試験は、北にある体育施設「ギュムナシオン」で行われたと教授は考えています。のちのローマ時代には舞台が付け加えられ、音楽ホールとしても使われました。発掘が再開された2010年には、客席は数段しか見えていませんでしたが、修復の大部分が2026年に終わったといいます。
テオスは、もともと音楽や芸術と縁の深い町でした。古代の叙情詩人アナクレオンはテオスとゆかりがあることで知られ、ローマ時代の建築家ウィトルウィウスは、ヘレニズム時代の有名な建築家ヘルモゲネスがテオスのディオニュソス神殿を設計したと書き残しています。ディオニュソスは、お酒と演劇の神さまです。音楽の先生がいちばん大切にされていたのも、こうした町の文化と無関係ではないのかもしれません。
700ドラクマはどれくらいの価値?
当時の700ドラクマがどれくらいの価値なのかを、今のお金に直すのはむずかしい問題です。ただ、手がかりはあります。英語版ウィキペディアの「古代ギリシアの教育」の項目は、研究者の見解として、100ドラクマにあたる1ムナで、アテネの4人家族が最大3か月暮らせたという説を紹介しています。時代も町もちがうので単純には比べられませんが、700ドラクマは「家族を養える、きちんとした収入」だったと考えてよさそうです。また同じ項目には、有名な哲学者プロタゴラスが授業料として1,000ドラクマを取ったという話も出てきます。
なお、テオスの先生の給料の記録そのものは、新しく見つかったものではありません。アンカラ大学の発掘プロジェクトのサイトでは、2023年の時点ですでにこの碑文と給料の数字が紹介されています。今回話題になったのは、2026年の発掘シーズンの成果発表と、試験会場だった評議会場の修復が進んだことがきっかけです。
日本への影響:「音楽は何のため?」を考えるヒントに
日本の学校でも、音楽は小学校から中学校まで、すべての子どもが学ぶ教科です。それでも「国語や数学にくらべて、音楽は大事なの?」という声を聞くことがあります。2200年前のテオスでは、音楽は試験もある、とても重んじられた科目でした。古代ギリシアの教育では、竪琴の先生(キタリステース)が音楽を教えることが、読み書きや体育と並ぶ柱の1つでした。この碑文は、その重みを給料という具体的な数字で示しています。
また、トルコでは日本の研究者も長く発掘にかかわってきました。たとえば、中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所は、トルコ中部のカマン・カレホユック遺跡で長年調査を続けています。テオスのように、発掘しながら遺跡を修復して公開していく取り組みは、日本の遺跡の保存や観光を考えるうえでも参考になるはずです。
意見:給料は「社会が何を大切にしたか」を映す鏡
私は、この碑文のおもしろさは「給料の差」にあると考えます。なぜなら、限られたお金をだれにどれだけ払うかは、その社会が何を大切にしていたかを正直に映すからです。テオスでは、弦楽器を教えられる専門の先生が少なかったために高くなった可能性もありますし、音楽が町の祭りや宗教行事に欠かせなかったからかもしれません。いずれにしても、音楽が「おまけの科目」ではなかったことはたしかです。
一方で、注意したい点もあります。この学校の対象は自由な身分の子どもに限られており、すべての子どもに開かれていたわけではありません。また、碑文は「こう決めた」という記録であり、実際にどれくらいの子どもが通い、決まりどおりに運営されていたかまでは分かりません。今後の発掘と碑文の研究が進めば、町の学校の実態がもっと明らかになると予想します。
世界の歴史5 ギリシアとローマ(中公文庫)
古代ギリシアの都市国家の成り立ちや、ヘレニズム時代の社会のようすを通して学べるシリーズの1冊です。テオスのような町の背景を知るのに役立ちます。
まとめ
トルコ西部の古代都市テオスには、約2200年前の学校の先生の給料を記した碑文があり、最も高い年700ドラクマを受け取っていたのは弦楽器を教える音楽の先生でした。裕福な市民の寄付で運営された学校では、女の子も読み書きを学び、音楽の試験は評議会場で行われていました。その評議会場の修復が2026年に大きく進んだことで、古代の「学校」の姿がよりはっきり見えるようになっています。
【出典・参考】
https://www.anatolianarchaeology.net/music-teachers-were-the-highest-paid-educators-in-ancient-teos-2200-years-ago/
https://arkeonews.net/forget-philosophy-and-math-these-teachers-earned-more-in-a-greek-city-2200-years-ago/
https://www.izmir.bel.tr/tr/Haberler/teos-un-taslari-2-bin-200-yillik-tarihi-gun-yuzune-cikariyor/59668/156
https://teos.ankara.edu.tr/en/heritage/the-citys-administrative-commercial-and-social-buildings/polythros-gymnasion/
https://teos.ankara.edu.tr/en/heritage/the-citys-administrative-commercial-and-social-buildings/bouleuterion/
https://en.wikipedia.org/wiki/Teos
https://en.wikipedia.org/wiki/Education_in_ancient_Greece
https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-22222002
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