歴史

三星堆の青銅仮面は絹をまとっていた?3000年前の儀式に大量の絹

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目が筒のように飛び出した、幅1メートルを超える巨大な青銅の仮面。中国の三星堆(さんせいたい)遺跡から出土した不思議な仮面は、見る人に強い印象を残します。ところがその仮面は、かつて色のついた絹の布をまとっていたのかもしれません。出土品の表面に残ったわずかな繊維から、約3000年前の儀式の新しい姿が見えてきました。

ニュース本体:101点の出土品に「絹の痕跡」

この研究は、イギリスの考古学誌「Antiquity(アンティクイティ)」に2026年10月26日、オンラインで公開されました。題名は「三星堆の絹と祭祀:古代の蜀で絹が使われていた初期の証拠」です。研究チームは、中国の四川省文物考古研究院、西北大学、三星堆博物館、雲南大学の研究者たちです。

チームは、三星堆遺跡の「祭祀坑(さいしこう)」と呼ばれる穴から出た出土品を調べました。祭祀坑とは、儀式のあとに青銅器や玉(ぎょく)などの宝物をまとめて埋めたと考えられている穴のことです。その結果、K2からK8までの7つの穴から出た101点の出土品に、絹の残りかすが付いていることが分かりました。そのうち94点は青銅器で、種類は28種類にのぼります。金の薄板や玉、象牙にも絹が付いていました。

顕微鏡や赤外線を使った分析で、これらの繊維は動物の毛ではなく絹だと確かめられました。多くは長い年月のあいだに鉱物に置きかわったり、炭のようになったりした状態で残っていましたが、比較的よく保存されたものもありました。考古学ニュースサイトのArkeonewsによると、青銅器のさびが繊維を守る役目をした可能性もあるそうです。

とくに目を引くのが、3号坑から出た青銅の仮面です。右の眉と目のまわりの3か所に、絹の痕跡が残っていました。ある青銅の飾りでは、布が最大で5枚も重なっていました。布にはすき間の多い薄い「紗(しゃ)」から、目のつまった「絹(けん)」まであり、1センチあたり縦約85本・横約40本という細かい織りのものもありました。こうした織り方は、同じ時代に黄河流域で栄えた殷(いん)の都・殷墟などの絹に近いといいます。

色にも手がかりがありました。赤い部分からは赤鉄鉱(ベンガラのような赤い鉱物)が見つかり、深い赤色の部分は、繊維の中までしみこんだ有機物の染料(植物などに由来する染料)によるものとみられます。ただし、染料の原料までは特定できていません。絹は出土品の下からもよく見つかっていて、たまたま付いたのではなく、宝物を包んだり、敷いたり、それ自体をささげ物にしたりするために、わざと置かれたと研究チームは考えています。

独自リサーチ:「謎の王国」三星堆と、絹探しの歩み

三星堆遺跡は、四川省の成都から北へ約40キロの広漢市にあります。中国の情報サイト「シックス・トーン」によると、1929年に農民が玉器の一群を掘り当てたのが最初の発見でした。遺跡の重要さが知られたのは1986年で、2つの祭祀坑から1000点を超える出土品が見つかりました。高さ約4メートルの青銅の「神樹(しんじゅ)」や、台座を含めて高さ約2.6メートルの青銅の立人像、そして幅138センチの「縦目仮面(じゅうもくかめん)」などです。2019年11月からは新たな発掘が始まり、さらに6つの祭祀坑が見つかって、合わせて8つになりました。

三星堆は、文字の記録がほとんど残っていない「古蜀(こしょく)」と呼ばれる文化のものと考えられています。黄河流域の殷とは見た目の大きく違う青銅器を作っていたため、長く「謎の王国」と呼ばれてきました。

実は、三星堆で絹が見つかったのは今回が初めてではありません。中国の英字紙チャイナデイリーによると、2021年、中国絲綢(シルク)博物館などが開発した、免疫反応を使って絹のたんぱく質を見つける技術で、祭祀坑から絹の痕跡が確認されました。2024年には学術誌「サイエンティフィック・リポーツ」で、それがカイコ(家蚕)の絹であり、放射性炭素年代測定でおよそ3148〜2966年前のものだと報告されています。

つまり、これまでの研究で「絹があった」ことは分かっていたものの、どれくらいの量が、どのように使われていたのかはよく分かっていませんでした。今回の研究は、101点という多くの出土品を調べることで、絹が「大量に」、しかも青銅器や玉と並ぶ儀式の大切な道具として使われていたことを示した点に新しさがあります。

日本への影響:日本人をひきつけてきた三星堆と、日本の絹

三星堆の出土品は、日本でも紹介されてきました。国立新美術館のアートコモンズによると、2004年8月10日から9月26日まで、東京都美術館で「よみがえる四川文明 三星堆と金沙遺跡の秘宝」展が開かれています。テレビ番組などで三星堆の仮面を見たことがある方も多いでしょう。今回の研究は、そうした仮面が、本来は布をまとった姿だった可能性を教えてくれます。

また、絹は日本の歴史とも深く関わっています。日本では弥生時代前期の終わりごろ以降の遺跡から絹織物の断片が見つかっており、カイコを飼って絹をとっていたと考えられています。『魏志倭人伝』にも、倭の人々がカイコを飼い、絹を織っていたことが記されています。三星堆の絹は、それよりさらに数百年から1000年ほど古いものです。中国の中心地から離れた長江上流の地域でも、早くから絹が使われていたことは、絹の技術がどのように広がったのかを考えるうえで興味深い手がかりになります。

意見:「見えなくなったもの」を想像する力

私は、この研究のいちばんの面白さは、「いま私たちが見ている姿は、当時の本当の姿ではないかもしれない」と気づかせてくれる点にあると考えます。博物館で見る三星堆の仮面は、緑色のさびにおおわれた金属のかたまりです。しかし3000年前の人々は、赤く染めた絹の布と一緒にそれを見ていたのかもしれません。布は土の中で消えてしまいやすいため、考古学では見落とされがちです。

一方で、研究チーム自身も認めているように、仮面がもともとどんな見た目だったのかを確実に復元することはできませんし、絹がその土地で作られたのかどうかも、まだ分かっていません。それでも、残りかすから時代の姿にせまる科学分析の進歩は目覚ましいものがあります。今後、布に文字や記号が描かれていた証拠が見つかれば、文字のない文化とされてきた三星堆の見方が大きく変わる可能性もあり、続報に期待したいと思います。

まとめ

中国・三星堆遺跡の祭祀坑から出た101点の出土品に絹の痕跡が見つかり、約3000年前の殷代後期に、絹が青銅器や玉と並ぶ儀式の道具として大量に使われていたことが分かりました。不思議な青銅仮面も、色のついた絹をまとっていた可能性があります。土の中で消えた布の痕跡は、私たちが知っている三星堆とは少しちがう、色あざやかな儀式の姿を想像させてくれます。

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【出典・参考】
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/silk-and-sacrifice-at-sanxingdui-early-evidence-of-silk-use-in-ancient-shu-southwest-china/C271E00F27803A22578F2CEAC3917992
https://arkeonews.net/traces-of-silk-reveal-a-hidden-side-of-chinas-3000-year-old-bronze-masks/
https://archaeologymag.com/2024/12/3000-year-old-silk-discovered-in-china
https://regional.chinadaily.com.cn/wic/2023-08/01/c_907229.htm
https://www.sixthtone.com/news/1007021/sanxingdui-discoveries-from-a-3%2C000-year-old-civilization
https://www.travel.co.jp/guide/article/14068/
https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/7271
https://y-history.net/appendix/wh07-024.html

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