北欧の伝説に登場する海の怪物「クラーケン」。船を丸ごと飲み込むほどの巨大なタコ、あるいはイカの姿で語られてきた幻の生き物です。じつは2026年4月、その伝説に近い姿の”本物”が、約1億年前の白亜紀後期の海に実在していたことが、日本の研究チームによって明らかになりました。全長最大19メートル、海の食物連鎖の頂点に君臨していた巨大タコ。北海道大学などの研究グループによる発見は、世界の古生物学に衝撃を与えています。
北海道大の研究チームが、Science誌に発表
研究を率いたのは、北海道大学大学院理学研究院の伊庭靖弘准教授(古生物学)らのチーム。新潟大学、大阪公立大学、中央大学、さらにはドイツのルール大学なども参加した国際共同研究で、研究成果は2026年4月24日付の米科学誌『Science』に掲載されました。
解明されたのは、白亜紀後期(約1億〜7200万年前)の海に生息していたタコ類「ナナイモテウティス」の正体。これまで部分的な化石記録しかなかったこのタコが、全長7〜19メートルに達する巨大な肉食動物だったことが分かったのです。
顎の化石とAIで「全身」を復元
タコの体は大部分が柔らかい筋肉でできているため、死後に化石として残るのは硬い顎(あご)など、ごく一部だけ。これまでタコの古代の生態が分かりにくかった大きな理由でもあります。
研究チームは、北海道とカナダ・バンクーバー周辺の白亜紀後期の地層から、これまでに知られていなかったものも含めて27点の顎化石を集めました。さらに、岩石を薄く数千枚スライスして撮影しデジタルで立体的に再現する独自手法と、大規模3Dデータを可視化するAIモデルを組み合わせ、12点の新しい顎化石を発見します。
近縁な現生種12種の計測から「顎のサイズ→全身のサイズ」を高精度に逆算する式を作成。その結果、より古い時代の種で全長3〜8m、新しい時代の種で最大19メートルに達することが明らかになりました。
過去4億年の常識を、無脊椎動物が覆した
これまでの古生物学では、過去約4億年間の海洋において、食物連鎖の頂点に君臨してきたのはサメや大型は虫類などの「脊椎動物」と考えられてきました。タコ・イカなどの無脊椎動物は、せいぜい中間サイズの捕食者にとどまっていた、というのが定説です。
ところが今回明らかになったナナイモテウティスは、同時期の海の頂点捕食者とされてきた巨大海生爬虫類「モササウルス」(最大17m)すらも上回るサイズ。現生のダイオウイカ(最大約12m)を超え、地球史上最大の無脊椎動物となる可能性もあります。「海の頂点は脊椎動物」という常識を、白亜紀の海ではタコがあっさり覆していたのです。
「タコの化石の記録は非常に限られており、これほど大きく生態学的に重要な白亜紀の海洋生物が見つかったのは予想外だった」——北海道大・伊庭靖弘准教授
強い噛む力、そして”利き手”があった
研究チームが顎の表面をていねいに観察すると、硬いものを噛み砕いた際にできる「すり減り跡」が、顎全体の約10%もの長さに及んでいたことが分かりました。多数の傷や欠損も確認されています。これは、アンモナイトのような硬い殻を持つ獲物すら砕いて食べていたことを示しています。
さらに興味深いのは、すり減り跡が左右で異なっていたこと。これは、人間に「利き手」があるように、このタコにも好んで使う側があったことを示唆します。利き腕(または利き顎)を使い分けるには、ある程度の脳の発達が必要。伊庭准教授は「噛む力が強く、利き手があり、脳と知性が発達していた」と分析しています。
頭にヒレ、深海ダコの最古級だった
ナナイモテウティスが属するのは、頭部にヒレを持つ「ヒゲダコ亜目(cirrate octopus)」と呼ばれるグループ。現生のヒゲダコは深海にすむ、ちょっと風変わりなグループで、頭の両脇にうちわのようなヒレを持ち、ふわふわと水中を漂うように泳ぎます。
今回見つかった新標本には、これまでの記録よりも約500万年古い、タコ類最古の記録が含まれていました。さらに、これまでタコ以外とされていた5種が、ヒゲダコ亜目の2種に統合されることに。タコの進化史そのものが書き換えられる成果といえます。
現代のタコと比べると、どれだけ巨大か
19メートルというサイズが、現代の感覚でどれくらいかピンと来ない方も多いと思います。日本の食卓でおなじみのマダコは、最大でも全長1メートル前後。世界最大級とされるミズダコでも、全長3〜5メートル、体重50kg前後が標準的なサイズです。それでも水族館で見ると「大きいなあ」と感じる存在ですよね。
- マダコ:全長 約1m
- ミズダコ(現代最大級):全長 3〜5m
- ダイオウイカ(無脊椎動物の現代代表):最大 約12m
- モササウルス(白亜紀の海の王とされてきた爬虫類):最大 約17m
- ナナイモテウティス:最大 約19m
こうして並べてみると、白亜紀の海でナナイモテウティスがいかに群を抜いた巨体だったかが見えてきます。19メートルというと、観光バス1台分よりも長い。そんなタコが、長い腕を広げて獲物を待ち構えていた白亜紀の海——なんとも想像力をかき立てられる風景です。
賢いタコは、現代でも進化を続けている
現代のタコも、無脊椎動物の中で群を抜いて知能が高いことが知られています。ビンのフタを開け、迷路を解き、人の顔まで見分ける。腕一本一本に独立した「ミニ脳」のような神経系を持ち、まさに海の知性派です。1億年前のナナイモテウティスにすでに利き手があったとすれば、タコの知性の起源は、私たちが思うよりずっと深いところにあるのかもしれません。
北海道の山道で何気なく拾われた岩石の中に、地球史上最大の無脊椎動物の顎が眠っていた——。日本の研究者がAIと地道な化石解析を組み合わせてたどり着いた、白亜紀の海のクラーケン伝説。次に水族館でタコを見るときは、その腕の動きにちょっと違う敬意を払ってしまうかもしれませんね。
古代の海と、タコの世界をもっと深く
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