歴史

マルタ島の謎の「石のレール」は古代ローマ時代?2628本を再検証

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地中海に浮かぶ小さな島国マルタ。その岩だらけの大地には、2本の溝がまるで線路のように並んで刻まれた不思議な跡が、島じゅうに残っています。地元では「カートルーツ(荷車のわだち)」と呼ばれ、長いあいだ「文字の記録が残る前の、先史時代の人々が残したもの」と考えられてきました。ところがこの秋、その常識をくつがえす研究が発表されました。多くは古代ローマなど、もっと新しい時代に使われていた可能性が高いというのです。

研究は、マルタ大学のジョエル・グリマ氏が学術誌『ジャーナル・オブ・アーキオロジカル・サイエンス:リポーツ(考古科学雑誌・報告編)』76巻に発表したもので、10月19日ごろから海外の考古学ニュースで相次いで紹介されています。

ニュース本体:2628本のわだちを「総点検」

グリマ氏は、マルタ島とゴゾ島で知られている310か所のカートルーツの遺跡を対象に、これまでの発掘記録や古い文献を読み直し、現地調査も行いました。実際に調べた228か所のうち155か所は、ドローンと地上からの写真を組み合わせて3Dモデルにしています。確認できた溝は2628本、合計の長さは約49.65kmにのぼります。一方で、記録には残っているのに、すでに壊されたり立ち入れなくなったりした遺跡も82か所ありました。

溝の深さは深いところで約60cm、2本の溝の間隔は110〜150cmほどです。最大の密集地では250組を超える溝が約6kmにわたって続いています。

年代の手がかりになったのは、「何が何の上にあるか」「何が何を切っているか」という関係です。たとえば、古代都市メリテがあった中部のイムディーナ/ラバトにある「ドムス・ロマーナ(ローマ時代の邸宅跡)」では、わだちがローマ時代の後の道路面より下にありました。南東部マルサのイル・コルティンでは、わだちがローマ時代の倉庫につながっていました。石切り場の跡がわだちを断ち切っている例は112か所、逆にわだちが石切り場の床の上を続いている例も17か所見つかっています。

お墓との位置関係も調べられました。比べた1690か所の埋葬跡のうち、約34%が記録された道から50m以内にありました。さらに南部ビルゼブジャでは、わだちが今の海面より約30cm下に沈んでいます。この2000年ほどで海面は約1.3m上がったと考えられており、沈み方は古典古代(古代ギリシャ・ローマのころ)に使われていたと考えると説明がつくといいます。

グリマ氏は、わだちの多くはフェニキア、ポエニ(カルタゴ)、ローマ、ビザンツの時代のものとみられ、先史時代のものと確実に言えるわだちは1本も見つからなかったと結論づけました。用途も石切り場だけでなく、農地や集落、工房、港を結ぶ日々の運搬路だったと考えています。ただし、すべてがローマ時代だとは主張しておらず、一部はもっと古い可能性や、何百年もかけて少しずつできた可能性も残るとしています。

独自リサーチ:なぜ「先史時代」と思われてきたのか

マルタが「先史時代の島」というイメージを持たれてきたのには理由があります。マルタには紀元前4千年紀〜3千年紀に造られた巨石神殿群があり、ユネスコの世界遺産「マルタの巨石神殿群」として登録されています。ユネスコはこれらを、世界で最も古い独立した石造建築のひとつと紹介しています。これほど古い文明が残る島なら、岩に刻まれた謎の溝もその時代のものだろう、と考えるのは自然なことでした。

米ギズモードの記事によると、わだちは紀元前5200〜前750年ごろの先史時代のもの、という見方が長く広く受け入れられてきました。一方で2020年には考古学者アンソニー・ボナンノ氏が、統計的に見るとわだちは紀元前750年〜西暦500年ごろに使われた石切り場と結びついていると指摘していました。興味深いのは、グリマ氏自身も最初は青銅器時代説に傾いていたことです。同氏は、証拠の量に「完全に考えを変えさせられた」と話しています。

わだちが最も複雑に交差する「ミスラ・ガール・イル・クビール」は、80m×100mほどの範囲に溝が入り組み、ロンドンの巨大な鉄道の分岐駅になぞらえて「クラパム・ジャンクション」と呼ばれています。グリマ氏は、溝は車輪が何度も通るうちに石灰岩がすり減ってできたという考えを支持しています。実際、古代ローマの都市ポンペイの玄武岩の石畳にも、深さ20cmを超える車輪の溝が残っています。柔らかい石灰岩ならなおさら削れやすかったはずです。

日本への影響:京都と大津を結んだ「車石」も同じ原理

「車輪が石を削って溝ができる」という現象は、実は日本にも残っています。滋賀県によると、江戸時代の文化元年(1804年)から翌年にかけて、東海道の大津八町から京都三条のあいだに、牛車が通る部分だけに石を敷く工事が行われました。雨でぬかるむ逢坂越えの難所でも、牛車が荷物を運べるようにするためです。この「車石(くるまいし)」には車輪で削られた溝が残り、今も大津駅前や東海道沿いで見ることができます。

マルタのわだちを見て「謎の古代遺跡」と感じる人も、車石を思い浮かべると印象が変わるかもしれません。どちらも、物を運ぶ人々の毎日の往来が、長い時間をかけて石に刻んだ記録です。また、「上下の重なりや切り合いで前後関係を決める」という考え方は、日本の発掘調査でも基本になっている方法で、今回の研究の進め方は日本の考古学ファンにもなじみやすいはずです。

意見:ロマンより証拠、でも「謎」が消えたわけではない

私は、この研究の一番の価値は、新しい大発見よりも「みんなが当たり前だと思っていたこと」を証拠から一つずつ確かめ直した点にあると考えます。2628本という数を3Dで記録し、重なり方やお墓との距離、海面の変化まで組み合わせたことで、先史時代説の根拠が意外と間接的だったことが見えてきました。研究者自身が最初の考えを改めた、というところにも誠実さを感じます。

一方で、これは「古代ローマが作った」と決まったわけではありません。わだちそのものの年代を直接測ったわけではなく、周りの遺跡との関係から推定したものです。今後、溝の中にたまった土の年代測定など、より直接的な方法で確かめられれば、議論はさらに進むはずです。また、82か所がすでに失われているという事実は見逃せません。開発で遺跡が消えていく前に、3Dデータとして残す取り組みはますます大切になると思います。

まとめ

マルタ島に残る「石のレール」カートルーツについて、マルタ大学のグリマ氏が2628本・約49.65kmを総点検した結果、多くはフェニキアからローマ、ビザンツにかけての古典古代に使われた運搬路だった可能性が高いことが分かりました。先史時代のものと確実に言えるわだちは見つかっていません。日本の「車石」と同じように、人々の暮らしの往来が石に刻んだ跡だったのかもしれません。

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【出典・参考】
https://arkeonews.net/romans-may-be-behind-maltas-thousands-of-mysterious-stone-tracks/
https://gizmodo.com/archaeologists-thought-maltas-mysterious-stone-railways-were-prehistoric-the-evidence-tells-a-different-story-2000828368
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2026.106134
https://whc.unesco.org/en/list/132/
https://www.pref.shiga.lg.jp/ab00/23231.html

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