南米ペルーの世界遺産マチュピチュ。何度も調べ尽くされたと思われがちなこの遺跡のまわりで、深い森の下に隠れていた「道」が新たに見つかりました。
ポーランドとペルーの考古学者のチームが、ドローンに積んだレーザー測量の装置を使い、マチュピチュ近くの山の斜面で、これまで知られていなかった2.5キロメートル以上の古い道を確認したのです。ポーランドの科学ニュースサイト「サイエンス・イン・ポーランド」が2026年10月16日付で伝え、アメリカ考古学協会の『アーケオロジー』誌も10月19日に紹介しました。
ニュース本体:ヤナンティン山の斜面に2.5km超の道
調査が行われたのは、マチュピチュの近くにあるヤナンティン山の斜面です。アンデス山脈の東側、標高およそ2000〜2700メートルの熱帯の森に覆われた場所で、遺跡を守るため正確な位置は公表されていません。
チームは2026年の7月と8月に現地で調査しました。率いたのはポーランドのヴロツワフ工科大学のバルトウォミェイ・チミェレフスキ博士で、ワルシャワ大学アンデス研究センターのマリウシュ・ジウコフスキ教授らが加わりました。現地の調査は、クスコの文化局でマチュピチュの考古学調査をまとめる部署の責任者、ニノ・デル・ソラール・ベラルデ博士が監督しています。
見つかったのは、「プレ・コロンブス期」(ヨーロッパ人がやって来る前の時代)につくられた道で、合計2.5キロメートル以上。そのうちはっきりした区間は少なくとも1.2キロメートル続いていました。ほかにも、斜面を階段状にした畑の跡「段々畑」や、平らにならした台、円形の建物の跡なども、これまで知られていなかったものが見つかりました。
最初のレーザー画像には、細くジグザグに折れ曲がる道が写っていました。幅1メートルに満たない1本は地元の人には知られていましたが、ほかは森に埋もれていました。現地で確かめるのも大変で、山刀で草木を切り開きながら進むと、250メートル進むのに3時間かかったといいます。
道のつくり方はインカの建設方法と合っていますが、いつ誰がつくったのかはまだ確定していません。インカより前の道が、のちに手を加えられて使われた可能性もあるとしています。ジウコフスキ教授は「少なくともその2倍はあるはずです」と話しており、分析はまだ第1段階にすぎません。
独自リサーチ:森を「透かして見る」技術と、3万kmのインカ道
今回使われた「LiDAR(ライダー)」は、空からレーザー光を地面に向けて大量に打ち、はね返ってくるまでの時間から地形を細かく測る技術です。木の葉のすき間を抜けて地面に届いた光だけを取り出すと、森をはぎ取ったような地形図ができ、人工的なまっすぐな線や段差が浮かび上がります。
この技術は、ここ10年ほどで考古学を大きく変えました。有名なのは2018年、中米グアテマラ北部の森で、PACUNAM LiDARイニシアチブという研究グループが約6万のマヤ文明の建造物を見つけた例です。日本の研究者も活躍していて、山形大学の坂井正人教授らのチームは、AI(人工知能)を使ってナスカの地上絵を新たに303点特定し、2024年9月に米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表しました。空からの「目」と現地を歩く調査を組み合わせる方法は、今回のマチュピチュの調査とよく似ています。
では、なぜ山の中にこれほど道があるのでしょうか。インカ帝国は「カパック・ニャン」と呼ばれる道路網で国をつないでいました。ユネスコによると、その総延長はかつて約3万キロメートルにおよび、2014年にはペルー、ボリビア、エクアドル、チリ、アルゼンチン、コロンビアの6か国にまたがる世界遺産に登録されています。マチュピチュの国立考古学公園の中にも60を超える遺跡があり、道で結ばれています。
その多くはウルバンバ川の左岸にあり、中心の遺跡を支える「衛星」のような役割を持っていたと考えられてきました。今回の道は川の反対側、右岸の斜面で見つかりました。ジウコフスキ教授は、インカ時代に右岸も大きく手が加えられていたことを示すもので、「インカの計画は左岸に集中していた」という見方に疑問を投げかけるとしています。
マチュピチュそのものの年代も、近年見直されています。アメリカのイェール大学などのチームは2021年、遺跡に埋葬された26人の骨を、加速器質量分析法(AMS)という精度の高い放射性炭素年代測定で調べ、人が住んでいたのは西暦1420年ごろから1530年ごろだったと発表しました。それまでは、記録をもとに1440年以降に建てられたと考えられていたため、20年ほど古くなったことになります。今回の道が「インカより前」のものだと分かれば、この地域の歴史はさらに古くさかのぼるかもしれません。
日本への影響:日本人が拓いた村と、日本の調査チーム
マチュピチュは、日本とも縁の深い場所です。遺跡のふもとにあるマチュピチュ村の初代村長は、福島県大玉村出身の野内与吉さんでした。この縁で、大玉村とマチュピチュ村は2015年10月26日に友好都市の協定を結んでいます。
また、今回の記事によると、マチュピチュ周辺で調査を許可されている外国の研究チームは、ポーランドのチームのほかにもう1つあり、それは日本のチームだといいます。ナスカの例のように、日本の研究者がアンデスの考古学で果たしている役割は小さくありません。今回のような技術による発見は、日本のチームの調査にも刺激になるはずです。
マチュピチュは日本人にも人気の観光地です。遺跡の「外側」にも見どころが広がっていると分かれば、旅の楽しみ方も変わるかもしれません。一方で、場所を伏せているのは、人が勝手に入り込んで遺跡を傷つけるのを防ぐためです。観光客の側にも、見つかった遺跡を守る意識が求められます。
意見:「見つける」の次は「守る」と「確かめる」
この発見で一番おもしろいのは、世界で最も有名な遺跡のひとつのすぐそばに、まだ未知の道が眠っていたという点です。「マチュピチュは調べ尽くされた」という思い込みが、技術の進歩でくつがえされました。今後、調査範囲が広がれば、道の先に新しい集落や祭りの場所が見つかる可能性も十分あると考えます。
ただし、気をつけたい点もあります。レーザー画像で見えるのは「形」だけで、いつ、誰が、何のためにつくったのかは、掘って確かめないと分かりません。チームも発掘の許可を求めているところです。「インカより前の道かもしれない」という話は魅力的ですが、結論はこれからの調査を待つべきでしょう。
もう一つは保護の問題です。発見が話題になるほど、人が押し寄せるおそれがあります。位置を伏せたチームの判断は正しく、発見の公表と遺跡の保護をどう両立させるかは、これからの考古学に共通する課題だと思います。
まとめ
マチュピチュ近くのヤナンティン山の斜面で、ドローンのレーザー測量によって2.5キロメートル以上の古い道や段々畑の跡が見つかりました。インカ時代の計画がこれまで考えられていたより広い範囲に及んでいた可能性や、さらに古い時代の道である可能性も出てきています。森の下にはまだ「その2倍」の道が眠っているかもしれません。次の報告が楽しみです。
インカ帝国―大街道を行く(高野潤著/中公新書)
写真家の高野潤さんが、インカの道「カパック・ニャン」を実際に歩いて記録した本です。今回見つかったような山の道が、帝国の中でどんな役割を持っていたのかを想像する助けになります。
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マチュピチュとその周りの遺跡を、豊富な写真とともに紹介した一冊です。遺跡の「外側」に広がる段々畑や道の様子を知るのにぴったりです。
楽天市場で見る Amazonで見る【出典・参考】
https://scienceinpoland.pl/en/news/news%2C114851%2Carchaeologists-uncover-25km-hidden-roads-near-machu-picchu.html
https://archaeology.org/news/2026/10/19/roads-and-terraces-discovered-near-machu-picchu/
https://whc.unesco.org/en/news/2000
https://news.yale.edu/2021/08/04/machu-picchu-older-expected-study-reveals
https://archaeology.org/news/2018/02/02/180202-guatemala-maya-landscape/
https://www.cnn.co.jp/fringe/35224566.html
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11055c/ootamavillhost.html
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