雨上がりの庭で見かけるカタツムリ。その殻が「右巻き」か「左巻き」か、気にしたことはありますか? 世界のカタツムリはほとんどが右巻きですが、日本には左巻きと右巻きが同じ谷で暮らし、子孫まで残しているふしぎなカタツムリがいます。その巻き方向を決める遺伝子が、ついに突き止められました。
2026年10月、英国ノッティンガム大学と東北大学の研究チームが、学術誌『カレント・バイオロジー』に論文を発表しました。主役は、日本の山や森にすむ「マイマイ属(ユーハドラ属)」の陸貝です。
ニュース本体:巻き方向を決めていたのは「ミオシン」
研究チームが注目したのは、日本の山あいのある谷にすむ野生のマイマイの集団です。ここでは右巻きと左巻きの個体が交配し、遺伝子をやり取りしながら一緒に暮らしています。巻き方向の違う個体どうしを比べることで、どの遺伝子の違いが巻き方向と結びついているのかを調べやすい、いわば「天然の実験室」です。
調べた結果、巻き方向に関わっていたのは「ミオシン I a/b」という遺伝子でした。ミオシンは、細胞の中で骨組み(細胞骨格)に沿って力を生み出す「モータータンパク質」の仲間です。筋肉が縮むしくみにも、別のタイプのミオシンが関わっています。
発表によると、この遺伝子のわずかな違いが、受精卵が分裂を始めたばかりの胚(はい、赤ちゃんになる前の段階)で、細胞が時計回りにねじれるか、反時計回りにねじれるかを変えると考えられています。この最初のねじれが、のちの殻の巻き方向だけでなく、体や内臓の左右の配置まで決めていくというのです。
さらに興味深いのは、右巻きも左巻きもどちらも正常に育つという点です。巻き方向を決める2つの遺伝子のタイプはどちらも古くから受け継がれてきたもので、左巻きのタイプには、自然選択(生き残りに有利な性質が増えていくしくみ)がはたらいた痕跡も見つかったと報告されています。論文のタイトルにも「古い多型(同じ種の中にある遺伝子の違い)」という言葉が入っています。
一方、比較のために紹介された池にすむ巻貝(モノアラガイの仲間)では、左巻きは別の遺伝子の変異によって生じ、発生に異常を伴うとされています。同じ「左巻き」でも、マイマイとはしくみがまったく違うわけです。
独自リサーチ:カタツムリの「右と左」は日本の研究のお家芸
実はこのテーマ、日本の研究者が長く世界をリードしてきた分野です。2003年には、東京大学の上島励氏と信州大学の浅見崇比呂氏が科学誌『ネイチャー』で、マイマイ属では巻き方向の逆転が少なくとも3回起き、そのたびに新しい種が生まれたと発表しました。巻き方向が逆だと交尾がしにくくなるため、たった1つの遺伝子の変化が種を分けてしまう、「単一遺伝子による種分化」の例として注目されました。
ところが2017年、今回と同じノッティンガム大学のアンガス・デイヴィソン氏と東北大学の千葉聡氏らは、巻き方向の違うマイマイどうしでも、まれに体をひねって交尾し、遺伝子が行き来していることを報告しました。観察できた交尾は5例とわずかでしたが、千葉氏は「進化ではまれな出来事でも、遺伝子に大きな影響を与えうる」とコメントしています。今回の谷の集団は、まさにこの「まれな交流」が続いてきた場所といえます。
では、胚の段階で何が起きているのでしょうか。2009年には東京大学の黒田玲子氏らが、ヨーロッパモノアラガイの受精卵が4細胞から8細胞に分かれる瞬間に、ガラス棒で細胞を押して並び方を逆にすると、殻も内臓も逆巻きの貝が生まれることを『ネイチャー』で示しました。巻き方向は、受精卵がわずか8つに分かれた時点の「細胞の並び方」で決まっていたのです。2016年にはデイヴィソン氏らが、この池の巻貝では「フォルミン」というタンパク質が左右と関係していると報告しました。
さらに、ミオシンと左右の関係は昆虫でも見つかっています。2006年には松野健治氏らのグループが、ショウジョウバエのミオシンI(Myo31DF)が壊れると、腸や精巣の左右の向きがそっくり逆転することを『ネイチャー』に発表しました。カタツムリとハエという遠く離れた生き物で、似たタイプの「モーター」が左右を決めている可能性があるのは、とても興味深い一致です。
日本への影響:左巻きを守る「右利きのヘビ」
左巻きのカタツムリが生き残ってきた理由として、日本ならではの有名な仮説があります。2010年、当時東北大学の細将貴氏らは、石垣島や西表島にすむカタツムリ食のヘビ「イワサキセダカヘビ」の下あごの歯が、右側のほうが多いことを報告しました。右巻きの貝から中身を引き出すのが得意な「右利き」のヘビなので、左巻きのカタツムリは襲われても生き残りやすいのです。実際、こうしたヘビがすむ琉球列島の南部では、左巻きのカタツムリが何度も独立に進化してきたとされています。
今回、左巻きのタイプに自然選択の痕跡が見つかったことは、こうした「左巻きが得をする場面」が実際にあった可能性とも響き合います。日本列島のカタツムリは、進化のしくみを解き明かす世界的な研究材料になっているのです。身近な公園や庭のカタツムリの巻き方向を観察してみるだけでも、立派な自由研究になるでしょう。
意見:小さな殻が「体の左右」の大きな謎を照らす
今回の成果でいちばん大きいのは、病気や異常ではなく、自然の中でふつうに見られる「右と左の違い」を生む遺伝子を、野生の集団から見つけた点だと考えます。これまでの研究の多くは、異常を起こす変異から左右のしくみを探るものでした。両方の型が健康に暮らすマイマイは、左右を決めるしくみを「正常な違い」として比べられる、ほかにない材料です。
一方で、注意したい点もあります。紹介記事では、調べた個体数などの詳しい数字は示されていません。また、私たち人間の内臓の左右も同じ遺伝子の違いで決まるわけではないと、記事でもはっきり断られています。「カタツムリで分かったから人間でも」と飛びつかず、ほかの生き物でも同じしくみが働いているかを確かめる研究を待つべきでしょう。
それでも、日本の研究者が何十年も積み重ねてきたカタツムリの「右と左」の研究が、遺伝子という具体的な答えにたどり着いたことには大きな意味があります。今後、ゲノム編集などで巻き方向を実際に変える実験が行われれば、議論はさらに進むはずです。
まとめ
ノッティンガム大学と東北大学の研究チームが、日本のマイマイの殻の巻き方向を決める遺伝子として「ミオシン I a/b」を突き止めました。この遺伝子のわずかな違いが胚の細胞のねじれを変え、殻や内臓の向きを決めていると考えられています。右巻きと左巻きが共存する日本のカタツムリは、生き物の「右と左」の謎を解く鍵を握っているのかもしれません。
右利きのヘビ仮説 追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化(細将貴著/東海大学出版会)
記事で紹介した「右利きのヘビ」を発見した細将貴氏が、研究の舞台裏をつづった本です。左巻きのカタツムリがなぜ生き残ったのかを、フィールド調査の物語として楽しめます。
楽天市場で見る Amazonで見る進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語(千葉聡著/講談社)
今回の研究に参加した東北大学の千葉聡氏が、カタツムリなどを追う進化学者たちの研究と人間模様を描いた一冊です。進化研究の面白さがよく分かります。
楽天市場で見る Amazonで見る【出典・参考】
https://www.sflorg.com/2026/10/gen10162601.html
https://doi.org/10.1016/j.cub.2026.09.059
https://interestingengineering.com/science/the-mirror-image-gene-scientists-explain-why-snail-shells-coil-left-or-right
https://www.sciencenews.org/article/your-spiral-or-mine-snail-gene-reverses-coil-makes-new-species
https://www.nottingham.ac.uk/home/featurenews/2017/twisted-sex-allows-mirror-image-snails-to-mate-face-to-face-research-finds.aspx
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press_20101207.pdf
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20091126/index.html
https://www.nottingham.ac.uk/life-sciences/featured-publications/formin-is-associated-with-left-right-asymmetry-in-the-pond-snail-and-the-frog.aspx
https://rrc.nbrp.jp/references/11153
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